人生わりかし後悔しています。

中高生、中高一貫校の生徒、浪人生、大学生、その親などに向けたブログです。学習や受験に関すること、塾や予備校のこと、引越しや一人暮らしのことなどについて書きます。

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苦手科目を克服する前に 得意科目を伸ばそう

嫌いを伸ばさせる日本の教育は苦行

高校時代、先生がこういっていました。

 

「得意科目を頑張っても意味がない。苦手科目をやりなさい。」

「100点の科目はこれ以上伸びないが、50点の科目を頑張って80点にすれば、30点上がる。」

 

これはある意味正解です。

あなたが苦手科目を伸ばすのに使う労力は、得意科目を伸ばすのに使う労力よりも小さいからです。

 

なぜそうなるのでしょうか?

 

 

 

 

得意科目には伸びしろがない?

単純に考えましょう。

あなたが得意科目で98点をとった場合、残りの2点はきっとケアレスミスか、ものすごく難しい問題です。

 

でも、例えば苦手科目で30点をとった場合、残りの70点のうちの多くはあなたが理解していない基礎的な問題です。

少し頑張れば点が伸びるというのが、先生の意図していたことでしょう。

 

舞台を変えれば「苦手科目」に

しかし、これは間違いです。

 

なぜなら、テストのレベルを変えれば100点ではなくなるからです。

東大の入試問題、あるいはTOEICTOEFLやIELTSに挑戦してみれば、無力な自分に気づくでしょう。

そこで仮に30点(それぞれ実際の配点は違いますが)しか取れなかったら、苦手科目と同じ状況になるはずです。

 

もし、無力な自分に気づかずに定期テストの100点に満足していたら、こうした上級のテストに太刀打ちできなくなります。

言い換えれば、100点は限界ではないのです。

 

得意科目はこれ以上テストの点を伸ばせないように見えます。

しかし、より難しいテストに挑戦しても、100点を取れるとは限りません。

 

平均的な人間を育てる教育

日本の中等教育が行なっているのは、平均的な人間を育てる教育です。

 

文系・理系に分かれても、その中で平均的な人間を育てようとします。

生徒を定期テストという秤(はかり)に掛けて、重さをはかります。

その秤は0から100までしか測れませんし、重さに関係のないステータス(色や形、細部のディテール)は測ってくれません。

 

だから、どんなに歴史オタクであっても、どんなに難しい証明問題が解けても、定期テストには反映されません。

「私は江戸時代が好きなんだ」と言っても、「江戸時代はもう満点だから、これ以上勉強する必要はない」と言われるかもしれません。

 

このように、学校教育、特に進学校の学校教育には得意を伸ばすことは期待しないほうがいいです。

 

同じ土俵の上で総合的に評価される

定期テストは人を同じ土俵の上で戦わせます。

漢字が得意な人も、微分積分が得意な人も、経済が得意な人も、みんな国語、数学、公民(政治経済)という土俵に上げられます。

そして、スコア化されます。

 

ある分野がどんなに秀でていても,それ以外がダメであれば、ダメな生徒です。

どの分野もそこそこできて60点をとった人と、ある分野だけ完璧にできて25点をとった人では、60点をとった人の方が優秀です。

そのテストが返却された後、25点をとったダメな人は補習授業を受けさせられるでしょう。

 

極端な話、優秀なはずの人が才能を否定されるという状況が発生しうるのが今の教育です。

もちろん、苦手な分野の勉強を強制された人たちはだんだん勉強が嫌になっていくでしょう。

 

そうではなく、優れた部分を積極的に認めていった方が人は伸びるのではないでしょうか?

 

テストを重視する日本の教育は、100点を上回る知能やテストに関係ない才能を測れません。

すべての分野を総合的に判断するので、平均的な人が評価されがちです。

 

苦手のままでもよい

スポーツ選手はジェネラリストか?

例えば、スポーツに求められているのは、なんでもそこそこできる人(ジェネラリスト)でしょうか?

 

たしかに、大会で優勝する人は総合的に見ても優れた能力を持っている人が多いです。

でも、ほとんどの場合、何かズバ抜けているものがあるんですよね*1

 

総合的な能力を問われる種目もあります。

しかし、なんでもそこそこできる人が全国大会に出ても、ひとつの分野で並外れた才能を持っている人に勝つことは難しいです。

 

眠っている才能を起こさぬまま、死なせてしまったらもったいないです。

苦手があるから下の方で我慢するのではなく、得意があるから上を目指しましょう。

 

あなたの苦手を補ってくれる人がいる

そもそも、私がこの話を書こうとしたきっかけは、ある本に載っていたマザー・テレサの言葉です。

 

 

世界で一番たいせつなあなたへ

世界で一番たいせつなあなたへ

 

 

わたしにできないことが、
あなたにはできます。
あなたにできないことが、
わたしにはできます。
力を合わせれば、きっと
すばらしいことができるでしょう。

 

片柳弘史(文)、RIE(絵)『世界で一番たいせつなあなたへ マザー・テレサからの贈り物』PHP研究所、2015年、ページ記載なし。

 

私たちは無理に苦手を伸ばすべきではなく、自分の才能を活かして、他の人と補い合いながら「すばらしいこと」をすべきです。

 

たしかに、定期テストはわれわれに「数学ができない」「関係代名詞がわからない」「古文ができない」という現実を突きつけてきます。

でも、だからと言って、神様から与えられた大事な才能を無駄にしてしまっては、生きる意味などないのではないでしょうか?

 

苦手を伸ばすために得意なことを伸ばすのをやめてしまうのはとても悲しいことです。

それこそ得意なこと、苦手なことを誰かと教えあいながら、ゆっくり着実に成長していくことが大切なのではないでしょうか?

 

学力を測り、競い合うことも必要ですが、楽しい勉強もまた、必要です。

 

苦手を補いあう国々

きれいごとに思えるかもしれませんが、苦手なことを補いあうことは経済学的にも正しいです。

 

経済学には、国際分業という概念があります。

これは、自国の産業は得意分野に集中して、それ以外の分野は他国に任せるという考え方です。

 

例えば、鉄を作るのが得意なA国と布を作るのが得意なB国があるとしましょう。

それぞれの国は鉄と布を2つとも自分の国で作っています。

つまり、A国は苦手な布を、B国は苦手な鉄を作らなければなりません。

 

苦手な分野の生産は、得意分野の生産に比べて時間がかかり、より多くの人員が必要です。

ですから、どんなに得意な分野があっても、苦手分野のせいで人員が回せず、せっかくのポテンシャルが台無しになります。

 

でも、A国が鉄だけを、B国が布だけを生産したとしましょう。

A国とB国が2つとも作ったときよりも早く、より多くの製品を作ることが可能です。


異なる才能を持つ人同士の協力は、よりよい結果を生むのです。

 

参考:

国際分業(こくさいぶんぎょう)とは - コトバンク

 

アスリートは得意を伸ばしています。

苦手を補いあうことは大切なことです。

苦手な分野を輸入に頼ることで、生産業を効率化できます。

 

苦手な科目は他の人に頑張ってもらう

苦手な科目で1位を目指す必要はありません。

ましてや、東大の入試問題で満点をとるまで勉強させるなんて非効率的だと思います。

 

あなたは得意科目のスペシャリストになってください。

そうすれば、将来、あなたが得意な分野が苦手な人は、あなたを頼ってくるでしょう。

そして、あなたが苦手な分野のスペシャリストがあなたを助けてくれるはずです。

 

*1:中には野球の大谷翔平選手のように、バッターとピッチャーの両方で活躍する人もいます。

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